1.導入
どうも時雨です
あまりにもPart2.1を投稿するのが遅すぎて投稿レベルが亀さんと煽られてしまう
では一体このPart2.2を投稿できるのはいつになるのか,真相は神と未来の自分のみぞ知る
前回と同様に懐古というか単純に昔自分が行ったところを紹介するだけです()
今回は斑鳩寺! 斑鳩,絶対初見では読めないであろうこの漢字! 何と読むでしょーか?
正解はいかるがと読みます ゲーマーとか関西の人なら読めたかもしれません
斑鳩っていう有名な弾幕シューティングゲームがあるので
はい,では行こう!
2.斑鳩寺とは?
斑鳩寺は兵庫県揖保郡太子町鵤(いかるが)にある天台宗の寺院で,本尊は釈迦如来・薬師如来・如意輪観音です
推古天皇十四年秋七月,聖徳太子は推古天皇のため,豊浦宮で勝鬘經(しょうまんぎょう)のお話をされました(勝鬘經:仏教における中期大乗仏教経典の一つ) 三日かかったといわれます その夜,蓮華の花がその地に降りしいたと伝えられます この年また太子は法華経のお話も岡本宮でされました 推古天皇は,たいへん慶ばれ,播磨国揖保の郡に於いて,水田百町を太子にさし上げました 聖徳太子はこの地を「鵤莊」(いかるがのしょう)と名付けられ,一つの伽藍を建てられました これが播州斑鳩寺の始まりです
往古には,七堂伽藍,数十の坊院がいらかを並べ,真に華麗を極めていましたが,天文十年(一五四一)尼子政久氏の播磨侵入後の混乱の中惜しくも堂塔尽く焼失をしてしまいます
その後篠山円勝寺(現たつの市)の昌仙法師により漸次再建されました 再建後,従来法隆寺別院であったのを天台宗と改めました
斑鳩寺の文化財(宝物)として,日光・月光菩薩立像や十二神将などがあります 国指定の重要文化財であります
3.いざ斑鳩寺へ
今回も,ほとんどの画像は昔自分がGoogleマップに挙げたのから選出してます
カメラワークは全くの素人ですのであんまり気にしないであげてください
こちらは斑鳩寺仁王門 寛文13年(1673)建立の建築だと考えられているそうです
由緒ある斑鳩寺の表門にふさわしい建築であり貴重ですね
聖徳殿は聖徳太子を祀る建物で,近世には太子殿と呼ばれており,現状かなり特異な形状を呈しており,入母屋造の前殿,両下造の中殿,三重に見える八角円堂の後殿が接続した複雑な建物となっています 上の画像は前殿で,中殿と後殿は下に示します
そしてこちらは三重塔 高さは約25m あちらこちらに彫刻が施され,桃山時代の装飾豊かな建物の先駆けとなる建物です 屋根の最上部にある鉄製の露盤には,天下泰平を祈願する赤松政秀の願文が鋳出されているそうです(三重塔は赤松政秀によって寄進され,再建されました)
4.東方との関連など
みなさんは聖徳太子の地球儀というのを知っているでしょうか?いわゆるオーパーツに属するやつですね
実は,斑鳩寺の寺宝に「地中石」というのが伝わってて,陸地を凸面,海を凹面で表した直径15cmほどの石製の地球儀となっています(実際は石ではなく海藻糊を混ぜた漆喰でできています)
聖徳太子は今から約1400年前の人物であり,その当時は東アジアでは地球が丸いという概念さえ知られていませんでした
しかもその地球儀には,ヨーロッパ、アジア、アフリカだけでなく,両米大陸(1492年発見)や南極大陸(1820年発見)など,大航海時代以降にはじめて明らかになった地域の地理まで正確に作られているといいます
この地球儀がいかにして作られたか,その手がかりと思われるのが,ちょうど太平洋の真ん中にあたる箇所にある巴状の三つの陸地で,それは今から約1万2000年前に太平洋に沈んだというムー大陸ではないかとされています
つまり、この地球儀はまだムー大陸が存在した時代の地理に基づいていると考えられるということです
そもそも漆喰に海藻糊を混ぜる技法は戦国時代以降の日本に特有のものです
南極大陸に相当するところの陸地部分には「墨瓦蝋泥加」という書き込みがありますが,これはいったん紙に書いたものを生乾きの表面に埋め込んだもので,完成後の書き込みではありえません 墨瓦蝋泥加は「メガラニカ」の音写です
17~18世紀,現実の南極大陸はまだ発見されていませんが,当時のヨーロッパの世界地図では北半球の陸地とバランスを取るため,南極の位置に架空の大陸を書き込む慣習がありました
メガラニカはその架空の大陸の呼称の一つで,その名は南半球経由で世界一周航路を開いたフェルディナンド・マゼラン(1480?~1521)に由来します
18世紀の初めには,日本でもヨーロッパの世界地図にならった地図がさかんに刊行されており,墨瓦蝋泥加の名もそこに見ることができます
つまり,この地球儀は江戸時代の半ばころ,西洋伝来の最新知識に基づき,その当時の技法で作られたものと考えられます
またこのムー大陸は,太平洋の中央に移動させられたフィリピン,インドネシアの島々の一部と考えられています
たまたまそれが聖徳太子開基の寺に奉納されて寺宝になっただけで,それを聖徳太子が作ったというわけではなかったのです
江戸時代の「和漢三才図絵」の編纂者である寺島良安が作ったのではないかという説があります 和漢三才図絵とは1712年,日本で初めて編纂された百科事典です
この和漢三才図会に記されている山海輿地全図と聖徳太子の地球儀の地形がほぼ一致するためです
東方神霊廟6面ボス豊聡耳神子はこの聖徳太子の地球儀をもとにしたスペルカードを使います
秘宝「斑鳩寺の天球儀」と秘宝「聖徳太子のオーパーツ」です 前者は難易度Hard以下で,後者は難易度Lunaticで発動されます
太子町には,「聖徳太子の投げ石」などの聖徳太子にまつわる伝承や,「鵤荘牓示石」(いかるがのしょうぼうじいし)や「檀特山」(だんとくさん)など,その伝承の舞台となった場所が多くあるので興味ある方はぜひ足を運ばれてみては
参考文献等
・聖徳太子の地球儀について
https://asios.org/reports/shotokutaishi
・東方聖地wiki
https://w.atwiki.jp/th_seiti/pages/156.html
・太子町ホームページ 文化財をたずねて
http://www.town.hyogo-taishi.lg.jp/soshikikarasagasu/rekisisiryo/observation/index.html
・斑鳩寺公式ホームページ