1.導入
どうも,時雨です
寝起き
この前の続きで森ノ宮神社(鵲森宮)に行ってきたので,記録をば
2.森ノ宮神社(鵲森宮)とは?
鵲森宮(かささぎもりのみや)は,大阪府大阪市中央区にある神社で,通称を森ノ宮神社といいます
主祭神は,聖徳太子,用明天皇,穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)です
崇峻天皇二年(589年)七月,聖徳太子は物部守屋との戦いに必勝を祈願し,勝った暁には四天王像を造ることを誓いました その戦いに勝利して,先ず父母の用明天皇と穴穂部間人皇后を神として祀りました その後,太子は四天王像を造り,この森に元四天王寺を創建しました
1098年の難波古地図に天王寺跡や鵲森宮など記載されており四天王寺はその25年後に現在の荒陵山に移転しましたが,当社はそのままとされました
社名を鵲森宮と云うのは,「日本書紀」推古六年夏四月の条より,上古難波の杜(もり)と云っていた推古天皇の御代に,難波の吉士磐金(きしいわかね・聖徳太子の命により新羅へ使者として渡る,鉄鋼業の祖)と云う人がいまして,新羅国より還って来て,鵲(俗に朝鮮烏)二羽を献上しましたことによります
この森に飼わせなさったことから「鵲の森」と称え,遂に宮の名となり略して「森之宮」又は「森明神」とも云うようになりました 鵲とは日本の烏(からす)によく似ており,全体が黒く,腹部の白い烏で,韓国や北中国には多く生息しています
3.いざ森ノ宮神社(鵲森宮)へ
森ノ宮駅を降りて,ちょっと歩くと「鵲森宮」の文字が
ここから入ればいいんやね?と思いつつ入場
多分これは社務所?なのかな?詳しくないので...
こっちは多分本殿 本殿と拝殿がつながっている造りをしているところとかもあるから何とも言えんけど
しつかりとお参りしていく~
お参りした後左手に進むと石碑が
何という石碑なのか調べてみたところ,左が大伴家持歌碑で,右が亀井水碑っぽいですね(違ったら申し訳)
大伴家持は,
「鵲の 渡せる橋に置く霜の 白きを見れば 夜ぞ更けにける」
という句を詠んだことがあるそうな
亀井は,聖徳太子が命名した長寿の霊水で,四天王像とともに四天王寺に移されたといわれており,四天王寺には亀井堂があります
4.東方との関連など
やはり豊聡耳神子ですね
聖徳太子をモデルとするキャラなので
前書いた斑鳩寺も,多分次に書くであろう四天王寺も,聖徳太子に関係しているので,やっぱりそれだけ歴史的に重要な人物であり多くの信仰を集めていることが見て取れますね まあ今のところ書いたの関西の聖地だけなんで^^;
ちなみに,物部布都のモデルは物部守屋の娘とされる布都姫(ふつひめ)あるいは太媛(ふとひめ)とされてますね
東方の布都ちゃんと屠自古ちゃんから逆算して守屋・太媛・馬子を描いてみました~ん。具体的に守屋が描きたかっただけなんだけど、作り始めたら馬子ちゃんが可愛くて困った。。。 pic.twitter.com/U8Xe7iKa7U
— 駒碧 (@k0mamid0ri) 2018年6月10日
これは,太媛とは別人という体で描かれてますね
5.参考文献等
・鵲森宮公式ページ
・鵲森宮にある石碑について