1.導入
どうも,時雨です
いや~お久しぶりですw前回の更新は10月14日と大体3か月前になるんですか,もう1月ですからね というわけで,
あけましておめでとうございます
今年もよろしくお願いします(遅い)
冬休みに更新しようと思っていたのですが,そんなことも完全に忘れていました
まあ,今年も気長に書いていこうと思います
これは11月3日から5日くらいまで旅行していたんですが,これは11月4日に寄った洩矢神社に関する記録です
この旅行の一番の目的は丹波山村行きのバスで生で「七ツ石の狼、雲を取りに駆ける」を聴くことだったんですが,それはいつかまた適当に書くかもしれません
ちなみに,東方靈異伝が第20回鳩山祭で公開・無料頒布されたそうなんですが,その鳩山祭の日付は1996年の11月3日~4日だったそうですね うんどうでもいい
2.洩矢神社とは?
洩矢神社は長野県岡谷市川岸東橋原区にある神社で,諏訪地方の伝承に登場する洩矢神を祭神としています 文献によっては守屋大臣や守屋大明神なんかと書かれていますね
「諏方大明神画詞」の伝承によれば,洩矢神は古代諏訪地方の一円を統治していましたが,出雲系の神である建御名方神(タケミナカタノカミ)らが侵入した際に藤島社での抗争に敗れました
和解後洩矢神とその子孫は諏訪信仰の一翼となり,いわゆる共同統治を行うようになりました
なお,洩矢神社周辺には縄文時代に遡る多くの遺跡が発見されていて,当社の西南方面にある洩矢大明神舊趾碑には,洩矢神の住居跡あるいは祭祀の跡とされる経塚遺跡が残っています
3.いざ,洩矢神社へ
グーグルマップ見ながら向かっていったのですが,最初に着いたところは洩矢神社の奥にある真言宗の寺?で,ここちゃうやんと思って戻り,着きました
いかにもっていう雰囲気ですね
手水で身を清めて入ります
なんと美しい... 木漏れ日とそよ風が気持ちよかったのを思い出します
階段を上って,本殿へ
諏訪大戦の歴史を感じます(迫真)しっかりお参りを済ませます
横の絵馬,気になりますよね??
諏訪子さまがいっぱいだあ 東方の聖地として名高い場所だなと改めて感じました
!!!
みんな大好き御柱です
こちらは,2022年に行われた御柱祭「山出し」の映像です
非常に盛り上がってて,面白そうですね 御柱の上に立って決意を表明する,地域の結束が深まりそうな祭りです
垂れ幕には「これが洩矢の心意気」と書かれていてなかなかアツいです
神社を見て絵馬を見て御柱を見て満足した僕は岡谷駅に戻り,次の聖地へ...
4.東方との関連等
洩矢神(土着神話)(洩矢諏訪子)vs 建御名方神(中央神話)(八坂神奈子)の伝承の名残が洩矢側から映し出される神社でしたね
個人的に驚きだったのが,諏訪大社で有名な御柱祭を洩矢神社でもやっているという点ですね それも,諏訪大社では日本屈指の祭りとして大々的に,洩矢神社では地域に根ざした祭りとしてローカルに行われていて対比になっていることが伺えます
ミシャグジは有史以前の古代日本で信仰されていた神であり謎も多いですが,柳田國男によれば塞の神の一種あるいは総称とされています
また,洩矢神とミシャグジ神が同一視されることもあります
塞の神は大和王権が本州一帯に版図を広げる前の東日本において,中央高地及び関東一円にわたって信仰されていた非常にスケールのデカい神であり,建御名方神と洩矢神、東方Projectにおいては「八坂神奈子」と「洩矢諏訪子」,この争いは,単に諏訪地方の収奪ではなく西日本VS東日本の壮大な紛争だったという見方もできます
荒神・山神・地ノ神・道祖神は、西部の諸県にもあるが、伊勢から紀州の一部を止まりにして東にしかないのは社宮司(しゃぐじ)という神である。これについて二十年余りも前に、私は小さな本を一冊書いている。それから後に判ったことは、信州の諏訪が根源で、今は衰えてしまった土地の神の信仰ではないかということである
と書いており,ミシャグジ信仰の淵源は諏訪信仰に関わろうとする見方が表れています
ただ,「ミシャグジ的なもの」やミシャグジめいた石神はすべて諏訪に由来すると考えるのは乱暴で、諏訪大社において特化したミシャグジ信仰と、諏訪から切り離されてしまった諏訪由来と思われるミシャグジ信仰、または他所に見られる「ミシャグジ的信仰」をそれぞれ分けて考えるべきであるという意見もあります
5.参考文献等
・洩矢神社公式ホームページ
https://moriyajinja.amebaownd.com/
https://w.atwiki.jp/th_seiti/pages/45.html
・洩矢神社を紹介しているブログ